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節分に蒔く豆は、落花生ではなく煎った大豆が日本のスタンダードだと知ったのは、小樽から岩手の小学校に転校した小学5年生のときだった。
桃の節句に食べていた粒々のある餅は、北海道や西日本で桜餅と呼ばれる道明寺で、関東一帯ではピンク色の柏餅のような長命寺が一般的な桜餅であることを知ったのは、岩手から埼玉の中学校に転校した中学二年生の春だった。

江戸前の握り鮨に使われているエビは、生の甘エビではなく、ゆでたクルマエビであることを知ったのは、東京の高校に通っていたころだった。
七夕に願い事を書いた短冊を飾るのは、葉竹(または笹)であって、北海道のように柳を使うのは例外中の例外だと知ったのは、アルバイト三昧の大学時代だった。
葬儀の帰りに中華饅頭や黒飯をもらうことも、端午の節句にべこ餅を食べることも、東京や大阪ではやっていない「北海道の風習」だと気付いたのは、社会に出てしばらくしてからだった。

知らない人が見ると、明らかに「変わってる!」「面白い!」と思えることが満載の北海道。若いころは少し恥ずかしかったけれど、いまは見てもらって経験してもらって、笑って、楽しんでもらいたくて仕方がない。
しかし、北海道らしい食文化の代表といえる甘納豆入りの赤飯ですら、残念なことに、年を追うごとに、独自性が失われ、いまや絶滅危惧種に指定したいくらいだ。

甘納豆入りの赤飯は、戦後、光塩学園の初代学園長・南部明子さんが講習会を開いて広めた北海道オリジナル。戦後の北海道が生んだご当地グルメであり、素晴らしい道民食=ソウルフード。次の世代に伝承しないなんてことがあってはならない。(山梨にも甘納豆入りの赤飯があり、もしかしたら、ルーツは山梨にあるのかもしれないが)

赤は魔よけの色ということから、赤飯は昔から、祝いの席に出されるもの。出産祝い、入学祝い、七五三、成人祝い、合格祝い、就職祝い、上棟式や還暦、米寿などの祝いの席に登場してきた。だから、赤飯を見ると、なんとく気分がよくなる。我が家でも、なにかおめでたいことがあると、母が赤飯を炊いた。餅やおはぎ、赤飯など、もち米を使った食べ物に目がなかった私は、母が蒸篭を取り出した瞬間に、「赤飯だ!」とワクワクしたものだ。

母が赤飯を蒸していた姿はよく覚えているけれど、どんな手順で作っていたかは、よく覚えていない。記憶にあるのは、うるかして(水につけて水分を含ませて)あったもち米を熱々の蒸篭で蒸していたことくらい。甘納豆をどのタイミングで入れたのかさえ、きちんと覚えていないのだ。

頭のなかは、すでに食べたい!という欲望で満杯だった男の子にとって重要なのは、美味しそうな匂いと、その匂いの元である湯気でしかなかったというわけである。
赤飯は冷えた状態で食べることが多い。でも家庭で蒸すと、温かい状態で食べられる。これが旨い! 黒ゴマと塩を振りかけ、その横には紅ショウガ。湯気が出た甘納豆入りの赤飯を口いっぱいに頬張る。噛むほどに、もち米の粘りが活きてくる。昔を思い出すと、食感までも蘇ってくる。
母の赤飯を食べなくなって、かれこれ二十年近く経った。当時のレシピはわからないけれど、かすかな記憶を頼りに、当時の味を再現してみたいと、思っている。でも、私は小豆も甘納豆も入っていないゴマ塩の赤飯の方が好きなので、なにもいれず、餅米だけで蒸してみるつもりだ。
さて、「よし、赤飯を炊くぞ!」と思うような、とってもおめでたいことは、いつくるのでしょうね。


端午の節句にべこ餅・甘納豆入りの赤飯

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