リフォーム・リノベーション専門雑誌「プランドゥリフォーム」に掲載中のコラムのウェブ版です。
歳をとったせいか懐かしい曲を思い出すことが多くなった。グループサウンズの時代が終り、フォークから歌謡曲全盛へと向かう頃、新御三家といわれるアイドルが活躍した時代がわたしの少年期であり、80年代アイドルとともに思春期を送ったからだろうか。ふと好きでもなかった曲が浮かんできては、当時の風景が蘇る。まったく好きではない演歌が浮かんでちょっとした自己嫌悪に陥ったりも…。当時、家のすぐ前の国道5号線は舗装道路だったけれど、まだ多くは未舗装か簡易的な舗装しかしていなかった。よく転んで膝小僧はいつも赤チンで真っ赤だった。乾いて時々金色になっていたのはなぜなのかは未だに謎だ。いまのように高層マンションなど地元の小樽近郊には一軒もなく、アパートが珍しいくらいだった。
空き地もたくさんあって子供たちの遊び場になっていたり、藪や草むらになっていた。夏にキリギリスが鳴き、8月になればトンボがたくさん飛んでいた。薮のなかを進み小川に辿り着けば、いまは絶滅危惧種になっているニホンザリガニがいたし、サンショウウオやカエルもたくさんいた。デジタルのゲーム機などもちろんなく、魚雷戦ゲームや中山律子のパーフェクトボールといっただろうか、当時はそんな名前のボウリングゲームや野球盤などが流行った。
とはいえ基本、遊びは外だった。虫を捕まえ、魚を釣り、野球をして、ミニスキーや雪戦。ゲーラカイトやアメリカンクラッカー、ヨーヨーなど流行り物もあったけれど、そこそこ田舎で育ったわたしは、自然のなかで遊ぶことを好んだ。いまはキャンプや焚火が好きでも、虫は嫌なのだが…子供のころは大概の虫は触ることができた。そんな少年時代、父親がどこかで面白い話を聞きつけてきた。海に膝上まで入り半円網とか三日月網と呼ばれる網の平な部分を海底に押し当てながら、後退すると網にエビが入るというのだ。地元の砂浜でもそれが可能と聞けば、もう黙ってはいられない。網を手にいれて行くしかないしょや!
週末に親子揃って海に出発! 朝から晩まで歩きまわった。そう簡単に採れるわけではなかったけど、エビがいる場所に当たると数匹単位で網に入る。後退することで人の足に驚いたエビがジンプして、その間に網がエビを捕獲する。このタイミングも大事なのがわかった。なんというエビなのかいまとなってはさっぱりわからないけれど、家に持ち帰り水槽で飼ってはすぐに死に、唐揚げになったのは覚えている。夏の海水浴シーズンには石浜で採れる磯ツブをそ場で焼いて食べるのがお決まりだった。子供がカニ釣りを楽しむ浜で、わたしはせっせと磯ツブを採っては父に渡し、流木の焚火で焼いていた。
いまなら怒られそうだが、おおらかというかそんな時代には許されていた。地元で先生と呼ばれる数少ない人間のひとりだった父親が堂々とやっていたのだから、漁業権の範囲ではないのかもしれないが、いまなら海水浴場で焚火をしていても問題になりそうだ。焼いたツブを食べているといい匂いが周囲に広がる。周囲の人が匂いに興味を持つのは当たり前…というわけで父は若い女性に焼いたツブを分けてあげていた。
当時は父親の優しさだと思っていたが、水着のお姉さんと仲良くなりたかっただけかもしれない。いや、きっとそうに違いない。海で採っていたのは磯ツブだけではなかった。たまに小さなウニも採った。平たい石で割って指を入れて中身をほじって塩味で食べる。特別美味しいウニが子供の背丈で入れる石浜にあったわけではないけれど、なかなか楽しい思い出になっている。
同じくいまはできないけれど、海水浴の最中、砂浜でアサリやホッキの稚貝を採った。海水浴しているのか貝を採っているのかわからないくらい熱心な年もあった。足がつくくらいの深さまで進み、足の裏で砂を掘り、貝を探す。見つけたら親指と人差し指で挟んで膝を曲げ伸ばした手でアサリをつかんで、海水パンツのなかへ。5、6個溜まったら陸に上がって獲物を袋に入れる……そんなことを繰り返した。といっても1日4、50個採ったらやめる。家族四人が一回食べる分だけ。あとはホッキを探すのだ。ホッキの稚貝といっても子供の背丈ではなかなか見つからない。1日やって一個見つかればいいくらいなのだ。この貴重価値的思考が大人になったわたしに根強く残っているからなのか、ホッキ=大事なものとなった。東京と北海道を往復して執筆活動をしていたころ、北海道にいる間に食べるものは、まず生のホッキとなった。ホッキは東京でも食べられるが、大抵は茹でてピンクになったもの。のシャキシャキしたのは高級店に行かないと食べられない。これが好きなのだ。切り込みや赤ホヤの塩辛も、機会があるごとに食べていた。いまは塩分制限がある体なので手を出せないのだが、これも飯ずしと並んで北海道が誇る名物。なぜグルメ番組で取り上げないのか不思議だ。
先に昔の歌謡曲がよく浮かんでくると書いたが、食べものや飲み物を見ても曲が浮かんできたりもする。ヌカニシンを見ると、なぜか都はるみの歌を思い出すし、ミキサーでジュースを作っているのを見ると、アグネスチャンや麻丘めぐみの曲が浮かんでくる。これはその時代に我が家にジューサーミキサーが現れたからだろうか。歌謡曲ではないけれど、昔CMで流れた曲というかメロディも浮かんでくることがある。例えば「象印炊飯ジャーたきたて」の♫たきたて〜のフレーズが、ご飯が炊けたときに浮かんでくるのだ。CMの恐ろしい刷り込みである……であるが、大人になったわたしには、ここで大きな疑問が浮かんだのである。炊飯器なら「炊き立て」は正しいが、ジャーで「炊き立て」はおかしいじゃないか!と笑。
思い出し笑いというのがあるけれど、わたしの場合、思い出し難癖笑いなのかもしれない。
CMでいうと、夏になるとなぜか芦別レジャーランドのCMも浮かんでくる。♫あーしべつレジャ〜あーしべつレジャ〜あしべつレジャ〜ラ〜ンド〜というフレーズ。同年代の友人知人に聞いても覚えていない人ばかりだが、わたしの脳内には確実に残っている。そしてこの曲が頭の中に駆け巡ると食べたくなるのはなぜか「とうきびアイス」と「メロンアイス」だ。とうきびアイスはいまでも時々セイコーマートで買って食べるけど、メロンの形をした容器入ったあのメロンアイスは何十年も食べていない気がする。ほじくって食べるあの感覚、もう一度体験したいのだが、何処かでまだ売っていないものか。トーストにバターをぬっていると「おいしい顔ってどんな顔」という小林亜星さんが作った雪印ネオソフトのCMソングが浮かんでくる。暑い夏、レモネードを飲んだら、松田聖子のあの曲を思い出す(わかる人はわかりますよね?)。そして寒くなる季……ホットミルクを飲むと浮かんでくるのは、雪と虹のバラードである。多分、今年の冬も来年も……。
作家・エッセイストの千石涼太郎さんのエッセイ
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