リフォーム・リノベーション専門雑誌「プランドゥリフォーム」に掲載中のコラムのウェブ版です。
北海道には厚岸の他にも寿都、サロマ湖、仙鳳趾など牡蠣の産地があり、それぞれに個性があってうまい。広島や三陸、的矢にも負けない美味しい牡蠣の名産地であることをもっと全国に知らしめたい気分だ。わたしは年に何度も殻付きの生牡蠣をダースで食べるくらい牡蠣が大好き。大人になってからは生牡蠣より焼き牡蠣の方が好きになった気もするが、とにかくむしゃむしゃと牡蠣を頬張りたい牡蠣好き親父なのだ。わたしが子供だった昭和の時代、牡蠣といえば殻付きではなく、ビニール袋に入った剥き牡蠣だった。
我が家での食べ方は、ほぼ牡蠣酢一辺倒。いや、我が家というよりは父の肴として出されたものを分けてもらうという方が正しいような記憶がある。幼い子ほど、酢の物のような酸っぱい料理はあまり好まない傾向にある。わたしも例外ではなく、小学校低学まではあの黒い外套膜が気持ち悪く思えたこともあり、箸が進まなかった。それがカキフライというものに遭遇して人生が変わり、牡蠣ベーコンという衝撃的な逸品に出くわしたことで、牡蠣の世界に誘われてしまった。
こうなると、牡蠣酢の世界にも足を踏み入れるわけだが、それでも生牡蠣は酢の強い牡蛎酢よりも、レモンなどの柑橘をほんのすこし垂らしただけの方が好きである。牡蠣はガンガン焼きでどっさり蒸し焼きして、熱々のうちに軍手をはいた手で剥いて食べるのも豪快でいい。何もつけず、塩水の味だけでペロリというのもよし、醤油をひと垂らししてもよし。わいわいやりながら、剥いては食べ、剥いては食べが幸せなのだ。いまの我が家はIHクッキングヒーターなので、ガンガン焼きの場合も、焼き牡蠣の場合も屋外となる。
道内では七輪やBBQコンロを庭やキャンンプ場に持ち出して焼いている人を見かける。網の上に牡蠣を並べて、火が通るのを待つ。牡蠣は焼きすぎると小さく縮んで硬くなるから目が離せない。硬くなったのがいいという人もいないではないけれど、ベストな焼き加減はまだホヨホヨ感が残る柔らかさに弾力が生まれたころだ。そこを見極めて素早く手に取って、剥いて口の中に放り込む。手際がよすぎると、上あごや口を火傷したりもするが、それくらいが美味しい。あっつい! と言いながら、冷えたビールや日本酒を流し込む。これぞ幸せというものであると左党は思う。厚岸の駅弁で有名な「かきめし」があるように、牡蠣の炊き込みご飯もうまい。牡蠣のエキスをまとったご飯は好きな人にはこたえられない味である。
昨今は、牡蠣の燻製やオイル漬けといったちょっとお高い肴もあり、幸せのバリエーションが増え、ホタテやホッキのイメージが強い北海道も、いよいよ牡蠣が注目される時代になってきたように感じている。ワインとウヰスキーと果物の街でありながら、海鮮も名物の余市でも、牡蠣が注目されるようになってきた。新しい日本酒、ジン、ウイスキー、ワインが生まれる北海道で、今後どんな牡蠣とのマリアージュが誕生するのか、楽しみでならない。寒さが本格的になったころには、牡蠣鍋だ。寄せ鍋的なたくさんの具材を入れるのも悪くはないのだが、牡蠣と豆腐とネギくらいに絞った鍋が好きだ。基本はポン酢醤油として、スリゴマを入れたり、もみじおろしを入れたり……でも、本当に美味しい牡蠣にはあまり刺激的な味付けはせずにいきたい。
今年の冬も「牡蠣を育てる海のために、森と川をいつまでも大事にしなくては」という思いを噛み締めながら、牡蠣を食べる幸せに酔いしれたい。道産酒とともに。
作家・エッセイストの千石涼太郎さんのエッセイ
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