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テレビの役割が変わった現代


まったく見なくなったというわけではないのだが、ここ数年、テレビを見る時間が大幅に減っている。「孤独のグルメ」や「絶メシロード」、「深夜食堂」のよなグルメ系ドラマや「ドキュメント72時間」「ブラタモリ」などのドキュメンタリー、加えて朝のニュースバラエティなどはまだ見る習慣があるけれど、好きだっお笑い番組やドラマもほぼリアルタイムでは見なくなった。ドラマはもっぱらティーバーやアマゾンプライム・ビデオをタブレットで好きな時間に見ている 還暦を過ぎたわたしですらこれなのだから、若い人のテレビ離れは何ら不思議ではない。今年の年末年始は一応、紅白含めて少しはテレビをつけたが、やっぱりドキュメンタリーやドキュメンタリー風のドラマがほとんどだった。テレビをつけても面白いと感じないのだ。


わたしが子供のころはレコード大賞と紅白歌合戦といえば、国民的超人気番組だった。誰が最優秀新人賞を取るのか、大賞は誰なのか。最優秀歌唱賞は⁉ と姉とふたりで一喜一憂していたものだ。 母がお節料理や年越し蕎麦の支度に忙しくしていようと、姉と二人でみかんを食べながら、新御三家や花の中3トリオに夢中になっていたものだ。(誰のことかわからない人はご両親に聞いてください)それがいまやお節料理を手作りしない家庭が当たり前。デパートやスーパー、料理屋や仕出し屋で買う人もいれば、コンビニで買う人までいる。いや、お節料理を食べない人も少なくない。


昭和の正月、我が家流


我が家は一昨年前までは半分作って半分はスーパーで買った出来合いの具材をお重に詰めていたが、今年の正月は重箱すら出さなくなった。皿にかまぼこや数の子を並べなんとなく体裁を整えただけ。塩分たっぷりのお節は体の毒。好きなものを少し並べるだけになってしまった 雑煮だけは作ったものの、若いころほどたくさんは食べない。まだそこそこ食べられる食欲はあるのだが、もう頑張って食べる歳ではないのだ。「お餅、何個食べる?」正月の朝は決まって、母が雑煮に入れる餅の個数を聞いてきた。「八つ!」「そんなに食べたら、また口が切れるしょ」胃が弱ると口角の部分が裂けてしまうことがよくあったのに、たくさん食べたい子供だった。「じゃあ、六つで我慢するよ」いまでは二つにするか一つにするかで悩むのだが、骨皮筋右衛門と言われるくらい細かったわたしはカロリーなど考えることなく許させるだけ食べた。


我が家の雑煮は焼いた切り餅を入れるすまし汁。出汁は昆布と鰹。鶏で出汁を作る家庭が多いと言われる北海道だが、具として入れる鶏から出汁が出る程度というのが母が作る雑煮だった。そしてツトや三つ葉に加え、甘エビやイクラなどを飾りにのせてちょっと北海道らしくする。母は見栄えを結構気にする人だった。十数年前、北海道にUターンしたとき友人宅に招かれ、豚肉入りの雑煮をご馳走になった。道産子はルーツによって雑煮も違って面白い。亡き母は黒豆やクワイを煮たり、数の子を塩出ししたり、身欠ニシンで昆布巻きを作ったりしてお節料理を重箱に詰めていたが、同時に子供が好きな唐揚げなども作ってくれていた。本人は酉年生まれだから鶏肉が苦手といって、わたしが生まれるまでは食べなかったそうだが、母は強し……子供のために気持ち悪がった鳥肌を掴んで料理をしてくれたのだった。正月といえばお節料理を肴にお屠蘇にかこつけて酒を飲む。我が家ではとにかく朝から飲んだ。



母はほとんど飲まず、主に父だけが飲むわけだが、元日だけは盃に入った酒が長男であるわたしの前にも置かれる。もちろん、舐めるだけの儀式(のはず)ではあるが、これがわたしの北の誉との出逢いだった。北の誉は紆余曲折あって吸収合併され、いまではオノエングループのブランドとして残るのみになり、店頭でもほとんど目にしなくなった。我が家で酒といえば北の誉だっただけに、少々寂しい。ふるさと小樽にはいくつも蔵元があったのに、いまでは……時というのは残酷なものである。父は日本酒(清酒)を好んだが、暖かくなるとビールもよく飲んだ。ビールを飲んでナイターを見る昭和にはよくいたお父さんだった。昭和といえばいまのように缶ビールをコンビニで買う時代ではなく、瓶ビールを酒屋に配達してもらう時代でもあった。勝手口に重いビールケースを持ってきてくれるのが当た前。送料も取らず、まったくご苦労なことである。



余談だが、わたしは高校一年生のころ酒屋でアルバイトしたことがある。台車にビールケースを積んで行く先は団地。真夏にエレベーターなしの四階に運んだ日はとくに地獄で、そんな時、サザエさんに出てくる三河屋の三平さんは偉いな〜と思うのだった。小樽に住んでいたころ、父が飲んでいたのはサッポロビールだった。いま道民がクラシックをよく飲むように、サッポロ〝壜生〞を飲むのが当たり前だった。ウイスキーも時々飲んだが、もちろんニッカだった。昔の茶の間にはサイドボードがあって、その中にはウイスキーやグラスが入っていた。数年ちびちびやっているジョニ黒、客がくると飲むジョニ赤、そしていつ
ものブラックニッカ。スコッチがジャパニーズウイスキーより安い時代では信じられない光景だった。


父は肴がないと飲めない人だったせいか、母はまめに肴を用意し、姉とわたしはその肴を好んで食べていた。枝豆はもちろん、ビールに合う砂肝炒めは父親が顔をしかめるほど横からかすめとっていた。長ネギを焼いたり、アスパラを焼いたり、手のかからない肴が夕食前にテーブルに並んだ。氷下魚をゲンノウで叩くのは次第に
わたしの仕事となり、スルメをストーブで炙るのも率先してやった。 家族揃っての食事は、昭和では当たり前のこと。家長である父親が箸をつけてから家族が食る……ほど厳格な風習はすでになくなりつつあったが、家族揃って食べる習慣は生きていた。いま思うと子育てにはとても大切なことだと思うのだが、現代の家庭ではどれくらい習慣化されているのだろうか。


首都圏では通勤時に1時間半かかるのが普通。なかなか揃って食べられないのもわかるけれど、北海道なら家族揃って食べられたはずだが……。週に一度は家族が食卓をを囲んでジンギスカンや焼肉、石狩鍋やカジカ鍋。手巻き寿司やしゃぶしゃぶなんかしながら団欒する。そんな家が多いといいなあと思うのだが、果たして実態は⁉
調査したとしても結果を見るのがちょっと怖いので、調べるのはやめておくとしよう。


道産アルコールを 道民へ


清酒は美味しくないし、ワインも生食用くらい、ウイスキーはそのものが人気がない……という時代を経て、いま北海道は日本ワインの本場と言われるくらいの隆盛をほこり、清酒も酒造好適米も全国レベル。ニッカウヰスキーは世界の頂点とも言える高評価で竹鶴や余市は手に入りにくいほど人気となった。かつて「北海道ワインツーリズム」推進協議会の会長として道産ワインの普及に邁進したわたしは嬉しい限りなのだが、正直、いまのアルコール製造の新規参入の多さには驚いている。以前から地ビールはあったが、いまやジンやウイスキーを作る醸造所が幾つもでき、どこもそれなりに人気がある。とても嬉しいことだ。最初は珍しさも手伝って売れるとして、あとが続くだろうか? とか、玉石混合になりはしないか……と心配してしまう部分もあるが、未来が明るく見える。


ただ、残念なのは……価格が高いこと。昔憧れていたジョニ黒やシーバスリーガルが安く買える時代。カティーサークなどはボトル一本千円くらいで買えてしまうご時世なのだ。セイコーマートでもツルハでも500円以下のワインが何種類も売られ、味も悪くない。清酒は道外も道産も大きな価格差はないとしても、他のアルコールはかなり価格差がある。昔、父親がサイドボードに何年も入っていたジョニ黒を時々チビチビとやっていたように、いまわたしは道産の美味しいジンを大事にちびちびとなめるように飲んでいる。せっかく北海道で作ったものを道民が楽しむ率は少なく、道外やインバウンドの比較的裕福な人たちが買って飲むものになったら嫌だなと思いながら…。


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