1. HOME
  2. 雑誌プランドゥリフォーム連動コラム
  3. 北の大地の食と暮らし

 


なまらあずましい生活イラスト①

北海道を愛する道民は、ジンギスカンや石狩鍋のような道民食はもちろん大好きだけれど、北海道限定のお菓子や食品にも非常に弱い。やきそば弁当やコアップガラナなどは、故郷を離れた学生さんや単身赴任のお父さんたちが帰省したときに買いだめして戻ったり、有楽町のどさんこプラザまで出かけて買ったりする。わたしが東京にいたころは、どさんこプラザで小樽のべこ餅を買うのがルーティンだったけれど、二回に一回はやきそば弁当も買っていた。食料というよりは、晩酌のおともに。 お酒好きなら、サッポロビール贔屓は当たり前。北海道出身者だけでなく、北海道ファンにもクラシックをお取り寄せする人がいるくらい愛されている。

北海道に住んでいると、北海道限定品と知らずに、愛し続けているものもある。例えば「めんみ」。めんつゆとしてだけでなく、煮物につかったりするあの醤油ベースのつゆのことだ。もともとは全国発売だったこの商品、北海道らしいめんつゆと思っていたわたしは十数年前、取材の途中であることに気がついた。本州で売っているめんみと北海道で売られているめんみは別物だということを。味が違うのはもちろん、本州と北海道では用途に違いがあったのだ。本州ではあくまでも「めんつゆ」として使われていたのだが、北海道では出汁醤油的な使われ方が多く、煮物などに使われる定番の調味料だった。そして衝撃的だったのは、めんみが家にありながら、めんつゆは、別の商品を使っている人が多かったこと。「めんみ」なのに。

現在、めんみは北海道限定商品として売られているためか「北海道の調味料」という認識が広がっている。しかし、S&Bのホンコンやきそば同様、全国区のキッコーマンが出していることから、長年、どこでも売っていると思われてきたように、めんみもまた北海道独自の味と思われないまま道民に愛されてきたのだ。友人知人を見ていると、中高年の道民の味覚を育んできた一つの要因には、めんみの存在があるのかもしれないと思う。

道産子の味といえばカツゲンは外せない。かつては牛乳と一緒に配達されていた瓶入りのカツゲンである。いまはもう「牛乳配達」は死語だろうか。実際に配達された牛乳瓶に触れたことがあるのは四十代以上の人、いや五十代が限界かもしれない。わたしが子供のころは、牛乳といえば瓶入りが当たり前だった。瓶の牛乳が入った木の箱を給食当番が運ぶのが苦行だったのを覚えている。家の玄関には牛乳瓶が二本入る箱が取り付けられていて、毎朝、牛乳屋さんが配達してくれていたものだ。冬、牛乳箱に雪がつもり、取り出すころには牛乳はギンギンに冷えている。これをストーブ前の暖かいところで飲む幸せ。夏はぬるくなるのでいち早く冷蔵庫に。もちろんワンドアで上部に小さなフリーザーがついたやつだ。

我が家ではある時期、牛乳一本とカツゲン一本を配達してもらっていた時期がある。このときの感激はいまも鮮明に覚えている。牛乳とカツゲンを比べたら、もう圧倒的にカツゲンが飲みたいのが人情である。当然のごとく、兄弟で取り合いになる。そして、わたしは牛乳を好んで飲まなくなった。昔の親というのは、そういうときにカツゲンを二本にして、牛乳をやめるという選択肢を持たない。大好きなカツゲンをやめて牛乳二本に逆戻りという悲しい結果になるのだ。


いまの親なら、子供の希望をかなえてくれるだろう。おそらくわたしでもそうするはずだが、我両親はそんなに甘くはかったのだ。以来、我が家からカツゲンが消えたわけだが、その数年後、北海道を離れたわたしには、カツゲンの美味しかった思い出だけが残された。ずっと北海道で暮らしている人にはわからない悲しき出来事だったのである。平成になってから、活源という名で東京でも数か月の間売られていたことがあり、わたしはうれしくて飛びついた。ソフトカツゲンのように紙パックに入っている一リットル入りだった。期待して興奮してグイッといったのだが、何かが違った。昔のカツゲンとはどこか違うのだ。美味しくなくなったわけではないのだが、これじゃない、わたしが求めているのは……と思った。 「もしや活源はカツゲンとは違うのか?」とか、「昔とは原材料の質が違うからかなあ」などと思って、ソフトカツゲンと飲み比べたが、どちらも昔の味ではないと感じた。


イメージ画像

それから時が流れ、北海道にUターンして八年が経った二〇一六年、「あのころのカツゲン」という復刻版が登場した。ついに昔の味と再会できる!わたしは興奮した。だが、飲んでみると……当時と味覚が変わったのか、左党になったせいか、昔のような「美味しい!」という感覚はもてなかった。 またしても期待通りとはいかなかったのだ。ただ、どこか懐かしさを感じはした。味そのものではない、何か訴えるものがあった。舌の上にカツゲンを漂わせていると時空を超えて昔の家が脳裏に浮かんだのだ。

母の顔と狭い家。石炭ストーブ……。わたしにとっては、カツゲンは家庭の味。お袋の味のようなものなのかもしれない。配達されていたカツゲンが持つ独特の感覚なのだった。リボンシトロンやリボンナポリンを見ても家庭を思い出したりはしない。思い出すのは工場と食堂くらいのものだ。

わたしが通っていた小学生は、四年生くらいになると「見学旅行」というバス遠足に行く。小樽郊外の小学校に通っていたわたしは、小樽水族館や三馬ゴムの工場などへ行く小樽編の学年と、北海道新聞社や雪印の工場などに行く札幌編の学年があった。札幌編では雪印の工場でアイスクリームを食べた記憶と、リボンシトロンやナポリンの工場で飲めなかった残念な記憶が残っているのだ。我が家は炭酸飲料を子供に飲ませない主義の家庭だったのでガラナもリボンシトロンも家にあったことがない。飲めるのは友達の家や親戚の家か、デパートの食堂くらいのものだった。父の機嫌がいいときも飲ませてくれる日だ。年に一度あるかないかのことだったが、これが子供のわたしにとってはとてもうれしい時間となっていた。

リボンシトロンやナポリンが北海道にしかないと知ったのは北海道を去った三年後。北海道から岩手、そして埼玉へと移り住んでからだった。誰に聞いてもリボンシトロンを知らない。わたしは衝撃を受けた。もしかしたら、いまも転勤族やその家族が同じ思いをしているかもしれない。リボンシトロンやナポリンだけでなく、コアップガラナでも。これからの季節、北海道らしい味がする切り込み、飯ずし、ニシン漬けを肴に酒を楽しみたい。熱燗もいいけれど、いまや北海道はワイン王国であり、ウイスキーやジン、焼酎もおいしいアルコール大国。じっくりと味わいたいものである。


 
コラム『食文化と方言』


テレビを見ていたら、石原さとみさんが「すき家のとん丼」のCMに出ていた。BSE問題が騒ぎになったその昔「牛丼一筋80年」が売りだった吉野家が豚丼を発売しことで牛丼チェーンも続々と豚丼を出したと記憶しているが、当時はどこも「ぶたどん」だった。豚は訓読み、丼も訓読み。日本語には重箱読みや湯桶読みというものがあるが、基本が訓読みの漢字の後の漢字は訓読がセオリーだ。よって「ぶたどん」という文法的にもオーソドックスな言葉があるのに、あえて「とんどん」と呼ぶには、「とんかつ」や「とんそく」といった肉料理のイメージとくっつけたかったのだろう。

北海道には十勝の豚丼があり、道民はどうしても「とんどん」には違和感がある。タカアンドトシのタカさんも、テレビ番組のなかで、すき家の「とんどん」を「ぶたどん」といってしまっていたが、こればっかりは責めないでいただきたいものだ。豚でいえば、北海道では豚汁は「ぶたじる」であって「とんじる」ではない。が、しかし、昨今は、在京キー局のテレビ、インスタ味噌汁などの影響で北海道でも、とんじるなんて言葉を使う人がいる。これは勘弁してほしいものである。


プランドゥリフォーム

> プランドゥリフォームとは

> 最新号のご紹介

ご購入サイト fujisan.co.jp へ移動します。