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未だに克服できない食べ物がいくつもあるわたしの小学生時代は典型的な偏食児童だった。
家庭訪問やPTAなど、母と担任教師が顔を合わせる機会があれば「好き嫌い問題」が話題となった。担任が替わる度に母は苦々しい顔をし、教師は困った表情を浮かべた。「お母さんは料理上手で、おうちではさぞ美味しい料理をだしているのでしょうねえ」などと、母に嫌味をいう教師もいて、母は「そんなことはないのですが」といいながら、先生を困らせる愚息のことを謝っていた。

確かに母は料理上手。パンもドーナッツも手作りするような人だった。糠漬け、飯ずしはもちろん、カルピスまでも作っていたが、わたしの偏食とはまったく関係はなかった。
ただただ「嫌なものは食べない!」という頑固というか、頑なでちょっと神経質なわたしの気質が災いしたのだ。たとえば、一番嫌いなキノコは、臭いすらもダメなのだ。いつから嫌いになったのかは覚えていないが、いくつか強烈な記憶はある。


ひとつは、毎年駆り出されたキノコ採りの恨めしい想い出である。年に何度か父親に連れられ、自転車で行けるところまで行き、自転車を乗り捨ててから、子供の背丈を超えるような熊笹の中を一時間以上歩き、ラクヨウなどのキノコを採りに行かされた。父に歩き疲れ、何度も「あと、どれくらい」と聞くと「20分」などといわれ、20分経ったかと思い、「あと何分?」と聞けば、また「20分」と適当な答えが返ってきた。


長く険しい行程は苦痛でしかなかったが、父より先にキノコを発見したときは、それなりに喜びもあった。しかし、自然界に生えているキノコである。ベトベトした表面に虫やゴミがついていたり、腐っていて気持ちの悪い形状になっていることもある。「こんな汚いもののどこがいいんだ?」と、思っていたわたしは採ることは採っても食べない子になっていった。

そんなとき、我が家の庭に椎茸栽培から引退した原木が何本もやってきた。父が知人から、もらいうけたのだ。老朽化した原木ゆえに数は少ないが、椎茸は生える。椎茸好きにはたまらない光景だろうが、嫌いな人間には耐えがたい状況である。椎茸の成長を日々見るのは、そう悪くはないのだが、臭いは嫌いだし、あれが食卓に上るのかと思うとうんざりする。おまけに、原木や椎茸に虫がたかっているのを目にしているから、その椎茸を家族が食べるところを見るのかと思うとますます気分が悪くなる。

加えて、タランボやコゴミや山ウドなどの山菜も採りに行かされるうちに、ほきあがっていった。しかし、なぜかフキは食べられたし、行者ニンニクはいまや大好物であるから、自分でも節操がないなあと思う。偏食は家庭菜園で作った野菜にも及んだ。トマトやキュウリは嫌いにならず、メロンやスイカ、イチゴは大好き。でも、ナスは食べない。トウキビやジャガイモは大好きなのに、葉野菜はほぼ食べられなかった。ニラやキャベツは好んで食べるいまも、小松菜や春菊などは食べられない。頑固なカミナリ親父はいまでいうDVで、家族はいつもビクビクしていたのだが、わたしはそんな父親にいくら怒鳴られても、頑としてナスやキノコは食べなかった。


母は毎日の献立に苦労し、「料理のしがいがないわねえ、あんたは」と嘆いた。というわけで、遠足や運動会のお弁当はなかなか面白いものになっていった。たまご焼き、ウインナーなどの定番に、骨付きの鶏モモ焼き、サラミ、酢イカといった肴のような品々。いや、よく考えると 普段の夕食からしてかなり、子供とは思えないほど偏っていたような気がする。カレーやクリームシチュー、ジンギスカンのような定番を除くと、砂肝炒めや焼き鳥、湯豆腐や煮魚、焼き魚や塩辛…といったものが多く、ハンバーグやオムライスのような子供がいる家庭によく登場するものは、あまり出なかった。これはわたしの偏食に加え、晩酌をする父の肴に、夕食がシフトしたせいである。そうなのだ。わたしの食の傾向は、偏食、父の晩酌、北海道的理由の三点セットで形成されてきたのだ。



北海道は屯田兵に代表されるように、日本のあちこちから移住してきた人たちが築いた土地ゆえに、食文化も地域や家庭で異なることが少なくない。我が家の場合、母は砂川生まれで樺太帰りだが、父は名古屋生まれで疎開してから北海道の住民になった。味噌煮込みうどんや櫃まぶしが食卓に上がることはなかったが、きしめんや赤だしの味噌汁は珍しくない家庭だったのはそのせいだ。つまり、我が家は北海道の定場に名古屋飯が入り込む家庭だったのだ。雑煮にしても、家庭によって大きく異なるのが北海道である。我が家は切り餅にすまし汁。魚介を入れるのが通例だけれど、友人の家では豚肉を入れる。香川からの移住者家族はあんこ餅を入れるそうだし、北陸出身の家庭では魚の素焼きを入れたりもする。

インディードの北海道版CMで泉里香さんが「お節は大晦日」といっているように、フライングしてしまう家庭も多い。ただし、これは昔の日本では、日が落ちた段階で、一日が終わるという考え方をしていたので、間違った風習ではない……と、主張する人もいる。ちなみに、それはわたしである。(笑い)桜餅は長命寺ではなく道明寺。端午の節句には柏餅ではなく、べこ餅を食べるといった違いもあれば、茶碗蒸しに栗が入っていたり、赤飯に甘納豆が入っていたりという違いもある。

本州に三十年ほどいたわたしは、いまではアジの開きを朝食で食べたい人間になってしまったが、それでもやっぱり道産子なのだなあと思うことはある。行楽シーズンに食べるおにぎりの具のベスト1はなんといっても、すじこ。朝食にもすじこ。好みもあるにせよ、道産子ほどすじこを好む人はいないだろう。最近の若者はパン食が多くなって、変わってきてしまったかもしれないが、少なくとも昭和の道産子にとってすじこはご飯に欠かせないものなのだ。

夏が近づくと、日曜の朝は五時に起きて、すじこのおにぎりを持って海まで父と一緒に自転車で出かけた。サンマの切り身やエラコをハリにつけ、小さな体でエイッと投げる。糸ふけをとって、アタリを待つ間に、母が作ってくれたすじこのおにぎりにかぶりつく。夏休みの場合は、日が高くなるあたりで釣りをやめ、海パンに着替えてビーチ側に移動。 父は海の家でビールを飲み、ふたりで味噌おでんを食べる。暑い炎天下で熱い味噌おでん。これがまたいいのだ。

夕暮れ時にまた釣りをはじめて暗くなったら家に帰る。釣れたときは、魚料理になるが、釣れなかったら下ごしらえの必要がないジンギスカンである。嗚呼楽しかったなあ。美味しかったなあ。こんな日々がまたこないものかなあ。コロナ禍で海を見てそうつぶやいた。


 

コラム『山と海の宝を永久に』



自然豊かと言われる北海道は、海の幸、山の幸に恵まれた北の大地。古くはニシン、昭和時代にはサケやホッケ、毛ガニやジャガイモ、トウキビ、そして乳製品で全国に知られる存在となった。ひまわり畑、ジャガイモの畑、菜の花畑に、麦畑……農村の実りの風景、花が咲き誇る景色も北海道の誇りである。オジロワシやシマフクロウ、シマエナガ、ナキウサギ、ヒグマにキタキツネ、エゾシカといった野生動物に加えて、サラブレッドや和牛、豚や鶏などの生き物たちも北海道の魅力になっている。

しかし、この「生きる宝」の環境が年々悪化している。大事にしなくてはいけない当事者である人間によって。登山を楽しむ人たちが、山にゴミを残し、釣り人が川や海にゴミを捨てる。鉄道マニアが撮影ポイントにゴミを残し、木を折り、観光客が農地に入り込み、苗を踏み、菌を持ち込む。禁止されている鉛玉を使うことで野生動物を殺し、釣り糸を放置することで野鳥たちの足や羽を奪う。

観光していると、牧草地に入り込んだり、花畑に入りこんで写真を撮りたくなる気持ちは理解できる。インスタ映えに重きをおく昨今。大人でもつい一歩前に出てしまうことはある。でも、靴についたバイ菌がその畑を全滅させ、再生に何年もかかるとしたらどうだろうか。日常生活における環境破壊については意識が少しずつ変わってきたとはいえ、非日常での行動はまだまだ問題が多い。北海道の海や山の幸の未来のために、さらなる意識改革が必要なようだ。


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