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 札幌と言えば、道外からもたくさんの観光客が訪れる雪まつりが有名だけれど、初夏を彩る北海道神宮例祭=札幌まつりも庶民が楽しみにしている一大イベントだ。
 このまつりの歴史は古く、明治5年6月にはじまり、現在は6月15日の北海道神宮例祭を含めて、14日~16日に札幌まつりが行われている。神輿渡御とよばれる長い行列はずっと見ていても飽きないほど魅力的。
 神道行事らしい日本古来の雰囲気でもあるが、開拓の地、北海道らしい雰囲気でもあり、風情を感じさせる。と同時に、北海道神宮や中島公園の出店は、日本各地で見られるように、ちょっといかがわしさがあって、いつ行っても楽しい。
 東京では見たことがない東京ケーキ!フレンチドッグという名のアメリカンドッグには、マスタードとケチャップ以外に、道東流の「砂糖かけ」ができる店もあり、北海道のまつりだ!と実感するわけだが、なぜか広島風お好み焼きがあったりする。
 悪く言えば節操がないということになるが、よく言えば異文化を受け入れる度量の広さが北海道らしいともいえるのだ。
 綿菓子や焼きそば、鉄板で鶏肉を焼くチキンステーキ、そしてわたしがいつも食べてしまうフランクフルト。 いまやフランクフルトなどは、コンビニで買ったほうが安いのに、あの焼き色を見ていると、ついつい手が伸びてしまうのである。しかも、ビッグサイズを。
 まつりは女性たちの艶やかな浴衣姿も、風物詩。こちらはフランクフルトのように、安易に手を出すのは持っての他だが、声をかけたりするだけで、とんでもないことになるので、真っ当な男たちは、「綺麗だなあ」と、心の中でつぶやき、遠目で眺めるだけである。
 子供たちが夜店の前で、「買って~」とか「やりたい~」と、親にねだる姿も、カップルがイチャイチャしながら歩く姿も、まつりの時だけは、なんだかとてもほのぼのと感じられる。
 茶髪にヒョウ柄のおばちゃんや、やんちゃそうなお兄さんも、この時とばかりに笑顔になっていて、楽しそうな雰囲気を醸しだしている。

 札幌まつりは、なかなか大きなまつりだが、実に平和で楽しいのだ。子どものころ毎年出かけた銭函の豊足神社のおまつりは、札幌まつりのように、おばけ屋敷や見世物小屋のようなものはなかった。夜店が並ぶ、スタンダードなおまつり。射的、輪投げ、綿菓子、金魚すくい、そしていまでは見ることがないミドリガメやカラーひよこ。ヨーヨーを買ってもらって、遊びながら帰ったり、ビニール袋に入れた数匹の金魚を自慢げにぶら下げて帰ったり……。  
令和の時代になって、あの昭和の頃をしみじみと想い出すと、つくづく時間の早さが増しているなあと思う。当時はもっともっと一日が長く、短い夏休みでさえも、もっと長く感じられた。それは、歳をとったということでもあるが、いまの時代が、当時よりずっと忙しないからだろう。

 初夏が終わり、本格的な真夏の季節を迎えると、大通公園のとうきびワゴンのとうきびが、「冷凍」から「生」に変わる。「生とうきび」だからといって、生のまま売っているのではないことは、札幌市民なら誰しもわかっているのだが、観光客の中には「焼いてるんじゃないの?」と思う人もいるんだとか。
 道民はゆでとうきびを買うことが多く、観光客は焼きとうきびを買う。これは、あの匂いのせいだ。 醤油ととうきびが焼けた時のあの匂いは、「もうたまらん!」と思わせるに充分なのだ。
 いまでは「とうもろこし」などと、観光客に媚びた表示をしているワゴンもあり、残念だなあとも感じるけれど、これもホスピタリティのひとつかもしれないと、自分を納得させている。  


 思えば、とうきびを焼いて食べるのは、北海道でも珍しいことではない。昭和、平成、令和と時代は変われど、キャンプやBBQでは定番といっていいかもしれない。じゃがいも、ナス、ピーマンやかぼちゃに混ざって、というよりは、じゃがいもと、とうきびは野菜の中の主役として、網上に登場するのだ。  
 パチパチと焼ける音。立ち上る水蒸気や煙。漂う甘い香り。澄みきった空気と、雲ひとつない青空の下。数家族で楽しむBBQは、子供たちの、忘れがたい夏の想い出となっていくのである。


 朝夕の暑さが少し和らぎはじめるころになると、御墓参りの季節。先祖に手を合わせ、大人たちは亡き祖父や祖母の想い出話をはじめる。
 しかし、まだ死の意味も死の恐怖も先祖のありがたさもわかっていない子供たちは、ただ退屈なだけ。普段は見せない大人たちの神妙な顔を見て、落ち着きを失ったり、戸惑ったりするが、それは最初のうちの話。墓前で手を合わせるやいなや、心は墓参りのあとに飛んでいく。
 なぜかといえば、墓参りのあとは、ちょっと「贅沢な外食」というおまけが付いてくる場合が多く、そこだけが子供にとっての楽しみなのだ。期待を外し、ラーメンの時もあるが、お寿司やちょっとおしゃれな洋食が食べられることもある。親戚が近所では売っていないような、美味しいケーキを買ってきてくれることもある。
 我が家の場合、外食よりも特別な料理が出ることが多かった。当時は憧れの食べ物ナンバーワンだったビフテキこと、ビーフステーキ! 天才バカボンなど、漫画ではよく見るのに、我が家ではほとんど見ることがないあのビフテキ。
 いまでは子供がお小遣いで食べに行けるようなものだけれど、昭和40年代の北海道では、特別な日でもなければ食卓にビフテキが上がることはなかったのだ。
 それは我が家が特別貧しかったからではなく、牛肉文化がまだいまいち浸透していなかった当時の北海道の土地柄と、高度成長期といいながらも、まだ舗装していない道路がいくらでもあった日本の貧しさがその理由なのである。
 夏が終わると、というかお盆が終わると、北海道は急激に気温が下がる。半袖一枚だった生活から、長袖一枚になるのではなく、半袖一枚から、長袖プラスジャケットが必要になるくらい、一気に変わってしまう。
 日中は大きく変わらなくても、朝晩が大幅に涼しくなるのだ。と同時に、魚がうまくなり、野菜も収穫の時期を迎える。つまり、BBQをやるとして、とうきびに加えて、新じゃがや、サンマなどの旬の魚が加わるということ。本当はこの初秋の時期がいちばん、キャンプやBBQにいい時期なのだが、わたしの場合、子供の頃から機会に恵まれない。
 それは父が教員で、夏は夏休みが豊富にあったせいで、お楽しみが夏に集中し、初秋はなにも楽しいことがなかったからだ。その習慣は、大人になっても消えずに残ってしまったということだろう。今年は、その悪しき習慣を打破し、北海道の味覚を楽しみに行こうと思う。


コラム『外来語だらけの祭りに 異議あり』

 悪いと言いたいわけではない。自分自身も結構楽しんでいるのだが、ちょっと異議申し立てをしたいのだ。
 「昨今のまつりやイベント、外来語を多用しすぎてませんか?」と。なんちゃらマルシェ、なんとかフェストに、なんだかんだフェスタ。英語やフランス語にすると、なんとなくかっこいいと感じてしまう、敗戦国的な感覚はわたしにもあるのが、自分でも情けないところ。
 もっと、日本語に自信を持って、アイヌ語や日本語でかっこよく、表現できないものか?と、ここ20年ほど思い続けている。
 例えば、東京都杉並区にある高円寺駅北口には「高円寺純情商店街」という名の商店街がある。富山県新湊には「新湊きっときと市場」がある。
 純情商店街がねじめ正一さんの著書で有名になった商店街だが、その名の通り、まさに純情な雰囲気が漂い、きっときと市場も、生きの良さを表すきっときとという言葉がぴったりの市場になっている。
 どこぞのグループ名ではないけれど、純烈収穫祭なんてのもないことはないし、アイヌ語と死語化した日本語を合わせてピリカ市庭のようなものがあってもいいと思うのだが、外来語の多用に違和感を持っているみなさん、何かいいアイデアはないだろうか。


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