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街路樹の葉が色づくころになると、子供のころ、栗拾いをしたときの懐かしい記憶が蘇る。
わたしが暮らした小樽郊外には、庭に栗の木を植えている家もあれば、少し坂を登れば栗の木がはえている山があった。
栗の実が落ちていても拾う気配のない家。他人様の家の栗を採ってはいけないのは子供ながらもわかっていたのだが、なにせ子供である。「なっている栗は採ってはいけないけれど、道路に落ちた瞬間、誰のものでもないべや」となり、「栗が道路に落ちていたら危ないから、拾うほうが親切だべや」ということになり、わたしは仲間たちと栗を拾いはじめたのだった。
最初のころは、ひとりが五つ六つ拾えば満足したが、栗がたくさん落ちるようになると、競争になり、落ちている栗だけでは満足できなくなった。
目の前になっている栗をじっと見上げて指をくわえていたのは、数分だけ。
小学校低学年のわたしたちに我慢できるわけもなく、「この枝、道路に出てるから、採ってもいんでないか?」ということになり、長いぼっこで栗を叩き落したり、石を投げて落したり……だんだん、やることが大胆になっていったのだった。
大胆になると、栗はあっという間になくなってしまう。わたしたちはさらなる栗を求めて、山のなかに入った。
いま考えると小学一年や二年で行くべきところではない気もするが、探検さながらに山道を歩くのは楽しいのだ。

「あった!」
栗の木を何本も見つけたわたしたちは、その場でイガを取り、栗だけをポケットに……そんなとき、「こら!」という声が聞こえたかと思うと、鬼のような形相の男が、目の前に走ってきた。
栗の木が何本も生えていたのが、ある福祉施設の敷地内だったからなのだが、子供のわたしたちは「山はみんなのもの」だと思っていたわけで、叱られてもすぐには納得がいかない。
最初はふてくされていたが、相手の怒りは収まらず、学校に連絡するといわれ、全員、名前を聞かれ、しぶしぶ答えることに……。
三人が名前をいい終わったとき、鬼のような顔をしたその男は、怒りながらも少し正気に戻ったらしく、いまにも殴りそうなこぶしを平手に変えて、頭をポンと叩き、こういったのだった。
「お前ら、親に恥かかせんじゃねえぞ」
前にも聞いたことがある台詞だった。医者の息子、建築士の息子、そして教員の息子……。おまけに親は、みんなPTAの役員。すぐに身元がわかってしまったのだった。
当時の親はいまの親のようにやさしくはない。親に怒られる……それは思い切りテンションが下がること。わたしたちはしょんぼりして家に帰った。
実際は親に連絡されることはなく、事なきを得たが、その後はあの栗だけは採っていけないと学習した。


しかし、わたしたちは、翌年もまた、近所の家の「落ちておる栗」や「揺すって落ちた栗」はいただき、我が家に持ち帰り、畑の端で、焼いて食べるようになった。落ち葉や小枝を集め、ぞうきんを絞るようにまるめた新聞紙に火をつけ、栗を焼く。最初は、殻がはじけることも知らずに、飛び散った火の粉に驚いたり……。
焼き方も食べごろもよくわからずにまだ火が通らないゴリゴリしたままの栗をほおばったり、なかにムシが入っていて、途中で吐き出したり……。
いろんな失敗があったけれど、いまでは楽しい想い出になっている。
キャンプ場でさえも焚き火ができないところが増えてしまったいま、またどこかで栗を焼いたり、じゃが芋を焼いたり……そんなことができたらなあと思う、今日この頃です。


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